腾讯地图を使ってちょっと上海を眺めようか(写真多め)

こんにちわ、こんばんは。、

上海という街を知っていますか。

上海をグーグルマップで見てみよう

これで見てみると、緯度は鹿児島と近く、経度は台湾に近いということができます。

上海ってどんなとこ?

http://map.earthol.com/jie/?n=100210YP140821130326400&h=87.4&p=-2.8&z=1

上海を知りたい?それなら新しくなったgoogle earthでひとっ飛び~といきたいとこですが、中国ではグーグルは使えない。(政策によるところ)

中国では中国の独自のサービスが発展しているのです。それはガラパゴスなんてものじゃなくて、言うなれば「中国ランド」って感じ。(それはまさに有象無象であって、夢と黒魔法の世界です)

で、話しを戻すと、グーグルが使えないから、テンセントっていう会社のマップを使います。(バイドゥを運営する会社。)

写真に写っているのは中国の中でもっとも発展した金融街を、黄浦江という川の反対側から眺めた風景です。

(中国の「川」は、日本のそれとは違い、大型のタンカーでも楽々行き来してしまいます)

そして、この金融街の側から、旧市街側を眺めたのがこちら

大英帝国が打ち立てたビル群がならんでいます。現在は高級なブランドや、高級ホテル、銀行、ナイトバーが入っています。

え、上海にイギリスの建築ってどういうこと?

アヘン戦争を終結させた1842年南京条約により、上海は条約港として開港した。これを契機として、イギリスやフランスなどの上海租界が形成され、後に日本やアメリカも租界を開いた。1865年に香港上海銀行が設立されたことを先駆として、欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した。

1920年代から1930年代にかけて、上海は中国最大の都市として発展し、イギリス系金融機関の香港上海銀行を中心に中国金融の中心となった。上海は「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれ、ナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。

当時鎖国状態だった中国を、アヘン戦争に乗じて開かせたわけです。

その後、日本も進出していき、「日本租界」を作りました。「日本租界」は、上海の中でも最も治安の悪い場所として恐れられたところです。

コラム

「上海とユダヤ人と杉原千畝」

ここで突然ですがコラムをお届けします。

ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害していた当時、日本の外交官の杉原千畝がユダヤ人にビザを発給しつづけたことが有名ですが、彼らの行く先として多かったのが、ロシアと上海でした。上海は当時、各国が進出していた影響で、中国であって中国でない、多国籍な場所だったのです。

話しをもとに戻すと、上海を開かせたイギリスは、一番良い場所を租界とし、大きなビルを打ち立て、ビジネス街を作り、文化を周りに生み出しました。

そして、現代に続く、最も多様性に飛んだ国際都市、シャンハイが成長したのです。

それでは、また次回!

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ABOUTこの記事をかいた人

上海を中心に、中国関連の気になる出来事を発信しています。時々関係ないことも書きます。学生時代に上海留学。現在は日本で会社員生活。いつか中国で書きたい。91年生まれ。