『KANO 1931海の向こうの甲子園』台湾が日本だったころの物語

今回は、台湾の映画を紹介したいと思います。

『KANO 1931海の向こうの甲子園』、台湾で2014年に封切られ、翌年日本でも公開された映画です。

台湾にあった嘉義(かぎ)農林学校の生徒たちが、台湾の代表として、甲子園に出場するドラマを描いた作品です。

台湾の生徒が日本の甲子園に?

台湾って、観光地としても有名ですし、親日的なところとしても知られていますよね。

でも、その台湾の歴史、ちゃんと知っている人はあんまり多くないような気がします。

台湾に住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんが、日本語を話したり、歌を歌っている姿を見たことがありますか?

なぜ、台湾は親日的だと言われるのでしょうか?

台湾は日本の一部だった

1895年、日清戦争の後の下関条約によって、台湾は日本の一部となりました。

それから日本が戦争に負ける1945年まで、約50年の間、台湾は日本が統治していました。

50年ってすごく長い期間ですよね。

その間、台湾の人々は「日本人」であったわけです。

この映画の描かれている時代は、1931年、台湾が日本になって約36年後のことです。

その当時の学生たちは、日本語での教育を受けていたので、日本語を話すことができました。

この映画は、そんな時代の台湾の姿を想像させてくれます。

親日的な台湾の姿

この映画では、日本と台湾の人々との交流が、かなり好意的に描かれています。

学生たちはとても純朴で、日本から来た学校の先生や、技術者に対して友好的です。

日本から来た学生と台湾の学生たちが共に汗を流し甲子園で活躍する姿、日本からの技術者が治水工事や農業技術を伝える姿を、魅力的に描いています。

この映画は、台湾と日本の歴史を、明るい方面から切り取った映画です。

その一方で、同じ映画監督の作品である、『セデック・バレ』は、日本の統治に抗う人々の姿を描いています。

親日的な台湾、日本の統治に抗う台湾、矛盾するようですが、台湾の歴史はその両面を持っているのです。

台湾の人々のアイデンティティ

この文章を読んでくださっているあなたは、なに人ですか?

多分、国籍的には日本人が多いかなと推測します。

「自分は日本人です。」と何の迷いもなく答える人が多いのではないでしょうか。

では、台湾の人々はなに人でしょうか?

台湾人でしょうか?

中国と台湾の歴史

台湾には現在、中華民国があります。

中国大陸では、中国共産党が政権を担っていて、僕たちはそれを中国と呼んでいるわけですが、「中華人民共和国」という国ができたのは1949年のことです。

それ以前の中国大陸は、国民党が政権を担っていて、「中華民国」という国がありました。

日本が戦争に負けたのは1945年のことですから、日本は当時「中華民国」と戦っていたということになります。

連合国側の戦勝国となった中華民国ですが、その後共産党との内戦に破れ、1949年、台湾に政府を移しました。

中華民国は、もともと大陸で生まれた国なんですね。

台湾にもともと住んでいた人からすると、日本がやってきて、いなくなったら、大陸から中華民国がやってきたことになります。

今の台湾には、台湾に古くから住む人達と、新しく大陸からやって来た人々の流れがあるわけです。

中華人民共和国は、台湾を中国の一部と呼んでいます。

一方、中華民国は自らを独立した国家だと言っています。

そして、それ以前から台湾に住む人々の系譜をもつ人々は、「国籍」とはまた異なるアイデンティティを持っているんですね。

おわりに

台湾が親日的だ、というのは、日本のメディアが作った、わりと身勝手な見方じゃないかなと思います。

親日的な台湾は台湾の一面でしかなく、本当はもっと複雑です。

複雑なものを、単純化してごまかしてしまわずに、複雑なままに受け入れたい。

素晴らしい台湾に、歴史的にも興味を持ってみませんか。

この映画は、その一歩になってくれると思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

上海を中心に、中国関連の気になる出来事を発信しています。時々関係ないことも書きます。学生時代に上海留学。現在は日本で会社員生活。いつか中国で書きたい。91年生まれ。